■ 「パールイズミ・スミタ・ラバネロ」率いる名将・高村精一監督インタビュー②

「Jサイクルツアー」は全国各地で年間12戦行われる日本最高峰のロードレースシリーズ戦だ。 同シリーズに参戦しているパールイズミ・スミタ・ラバネロの2009年はチームランキング4位。並み居るプロチームの中、いちクラブチームとしては大健闘である。
同チームを率いるのは高村精一監督。浅田顕選手、大野直志選手、飯島誠選手、宮澤崇史選手など多くの好選手を育て上てきた名将である。
高村監督の経歴からクラブチーム設立のこと、本業であるフレーム製作について、チームのこと、選手強化のことなどをインタビュー形式で全3回に分けて紹介する。 今回は第2回目。

チームラバネロを作ったのはどういうきっかけだったのですか。
ラバネロのフレームを買ってくれたお客さんに自転車の乗り方を教えているうちに、みんなでレースに出るようになりました。 それがチームラバネロの原型です。当時、東京都では自転車競技連盟主催の大会が年に2回、そして国体の予選がありましたから。 そういう感じでレースに参加していたらツール・ド・北海道に選抜チームとして出場できることになり、ちょうどスポンサーをしてくれる企業もあったので、本格的に強化を始めたのです。 最盛期にはツール・ド・北海道で全ステージ優勝し、完全優勝を成し遂げたこともありました。
すごいですね。クラブチームに全ステージ優勝されたら実業団チームは立つ瀬がないのではないでしょうか。
本当に痛快でしたね。クラブチームにまるで勝てないということで廃部になりかけたチームもあったようです。 こうした中からツール・ド・北海道で個人総合優勝した大野直志選手やオリンピックに3回連続出場(シドニー、アテネ、北京)した飯島誠選手といった選手がラバネロから実業団へと巣立っていきました。 エキップアサダの浅田顕監督は高校生の頃にうちで走っていたのですが、卒業するとすぐにブリヂストンに入りましたね。
高村監督はフレーム作りをメインとした高村製作所というサイクルショップを経営していますが、そのきっかけは?
大学を卒業するときに競輪ではとんでもなく稼げるぞと言ってくれる人もいたのですが、それよりは自由に趣味として自転車に乗りたいと思い、家の手伝いをすることにしたのです。
父は『高村製作所』という店を興してカメラの三脚やレントゲン写真を撮るときの台などを作っており、私も工作が好きだったので、製作所の仕事は楽しんでやっていました。
ところが、昭和44年の石油ショックで経営がうまくいかなくなり、サイクルショップを始めたのです。 最初はメーカーが作ったものを仕入れて売るというだけの店でした。
現在はどのような活動をしているのですか。
クラブ員は全員で150名ほどです。トップチームの男子16名は実業団のTRクラスに登録していてJサイクルツアーに参戦しています。 女子も数名はFRクラスに登録していてJフェミニンに出ています。チーム全体では若い子が多く、小学生くらいから始めている子もいます。 2009年エースとしてがんばった平塚吉光選手も小学生からうちで走っています。正しい乗り方を教えるなど育成面を重視していますね。 もちろん、トップチームはレースで勝つことを目標としていますが、選手が実業団や海外チームへと巣立っていくことは歓迎しています。 うちのチームで育った選手がさらに大きな舞台で活躍してくれることはうれしいことです。 私としてはラバネロが選手自身や日本の自転車競技界の発展に役立てればいいと思っています。(以下次回)
Jサイクルツアー2009の最終戦である輪島ロードに参戦したラバネロのメンバー
Jサイクルツアー2009の最終戦である輪島ロードに参戦したラバネロのメンバー。
右端が高村精一監督

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数々の好選手を輩出してきたパールイズミ・スミタ・ラバネロの高村精一監督

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